現在佐賀の道の駅しろいしに来ています。
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隠れキリシタン探訪の旅も4日目です。
今日はこれから島原一揆のあった場所
原城跡がある島原まで行きます。
まずは島原の近くに在る道の駅みずなし本陣に向かいます。
ここから約82キロです。
出発します。
途中、すき家で昼食を採ります。
ニンニク牛丼
ミントガムが付いてきました。
細やかな気遣いに感謝です。
そしてしばらく走ってやってきました。
道の駅みずなし本陣ふかえ
ここからすぐの所に火砕流で被災した家屋を保存しています。
家屋が完全に地中に埋まっています。
桜島でも埋没鳥居を見ましたが
大量の火山灰を撤去するよりも、火山灰が降り積もって
2メートル位高くなった地面をそのままにして
道路を作ったり、家を建てたりした方が効率が良いという事なのかもしれません。
それにしてもこれだけの火山灰が降り積もるとは
想像もつかない位の量です。
そしてこの時気づいたのですが、有名な雲仙岳とは
ここ島原に存在するのだと知りました。
桜島火山に続いて、雲仙火山と九州には活発な火山が多いのだと初めて知りました。
これは軽トラですね。
火砕流の高熱で燃えてしまったのでしょう。
そして道の駅には観光案内所が在ります。
ここの案内人の方と島原一揆についてお話をしました。
流石地元の方だけあって、とても体系的に島原一揆の時系列や
当時の時代背景、そして現在からみた分析等
色々と勉強になるお話ばかりでした。
案内人の方が仰っていた事で印象に残っていたのが
現在は ‶ 島原の乱 ‶ という言い方は適切では無いので使わない
という事でした。
これには ” 乱 ” というのは反逆という意味が含まれているので
当時の政府であった幕府に対して、農民が反乱を起こしたという
どちらかというと、権力闘争という見方が含まれるからだそうです。
実際は当時の統括者の大名の農民に対する圧制に対して
追い込まれた農民が反撃をしたという形なので
現在では ‶ 島原一揆 ‶ の表現を使用しているのだとか。
そしていよいよここから20キロ程南に行った所に
島原一揆の起こった原城跡に行きます。
そして原城跡まで行ってみると、駐車場がありません。
なるほど、原城跡には備え付けの駐車場は無い事が分かりました。
そしてどこにバイクを停めようかと調べてみると
近くに観光客用の駐車場がある様でした。
原城温泉真砂の裏側の海沿いに駐車場が在りました。
ここから歩いて10分程で原城跡まで行きます。
なんという事でしょう。
海の方を見ると虹が現れました。
こんなに綺麗アーチ状の虹を見たのは初めてです。
当時のキリシタンの殉教者たちが
歴史の探訪者の私に虹を見せてくれた、と
ちょっと無理がある解釈をする事にします。
やってきました。
原城跡地
約400年前ここに原城という廃城があり
そこに3万7千人のキリシタンが立てこもって、幕府軍と戦ったその場所です。
大体想像はしていましたが、何もない原っぱになっています。
歴史的な場所なので、開発したり運用をせずに
記録遺産としてこの場所を、そのままに留めておいているのでしょう。
もし今1637年12月にタイムスリップしたら
私はキリシタンか幕府軍のどちらかの勢力に、敵とみなされて切られてしまう事になるでしょう。
時間が戻らない事を祈りながら観光を続けます。
来る前は知りませんでしたが
原城は海沿いに作られた事がわかります。
城の上から見る海は綺麗だったでしょう。
天草四郎の像が在りました。
彼もここで最後を迎えました。
天草四郎のお墓です。
さて島原一揆の場所である原城跡に来て
私の隠れキリシタン探訪の旅も終盤に差し掛かってきたところで
これから長崎原爆資料館や軍艦島を観光するので
一旦隠れキリシタン探訪の旅を、中断します。
そして今日の野営場は白浜キャンプ場です。
出発します。
15分程走って到着しました。ここは貴重な無料キャンプ場です。
炊事場があり、その先が林になっています。
白浜キャンプ場
この辺にテントを設営します。
ちなみに林の先はすぐ海になっています。
波の音を聞きながら、今日はゆっくりと眠れそうです。
今日の走行距離は139キロでした。
明日は長崎原爆資料館に行きます。
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