現在は宮城県の達居森と湖畔自然公園キャンプ場に来ています。
このキャンプ場を見ていきます。
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ここは人気のキャンプ場らしく、沢山の利用者が来ています。
炊事場兼かまど。
水道は有料でした。(2分間100円)
かまど
水道の料金設備
トイレ
テントサイトはそんなに広くはないですが、よく整備されいていました。
東屋
このキャンプ場は牛野ダムの近くに位置しています。
今はダムの水は無く、底が見れる状態になっていました。
さてここで、朝食を採ります。
今日の朝食はまるごとバナナとバナナポートです。
忖度無しでまるごとバナナとバナナボートを評価しました。
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これから仙台の震災遺構 仙台市立荒浜小学校へ行きます。
ここから約41キロ程です。
という訳で出発します。
1時間ちょっとで到着しました。
震災遺構 仙台市立荒浜小学校
ここは災害の史実を伝える為に、一部分をあえて修復せずに当時の状態を保っています。
2回のベランダの手すりが損傷している事から、いかに津波が高かったことが伺えます。
これは当時の状況の写真です。
なんと自動車が天井に埋もれています。
想像を超える程の津波が到達していた事が、分かります。
このクラスを見ると1階の天井部分の損傷の激しさがよく分かります。
なんと現在も2553人が行方不明になっているそうです。
当時の被災状況の証言をまとめた作品が上映されていました。
ここから屋上に上がります。
向こうに見えるのが太平洋です。
あそこから14メートルの大津波が来たと想像すると、恐ろしくなります。
また当時、午後3時55分にこの学校に津波が到達して、幸いにも生徒たちは屋上に上がって被害を免れたそうです。
そしてその後、自衛隊のヘリコプターで屋上から救出されたそうです。
荒浜小学校で震災の状況を学んだところで、ここからほど近い
震災遺構 荒浜地区住宅基礎へ行きます。
やってきました。
震災遺構仙台荒浜地区住宅基礎
ここは荒浜海岸に近いので、住宅は津波によって流されてしまい、住宅の基礎部分のコンクリートブロックがそのまま、残っています。
むき出しになった住宅の基礎部分が、当時の津波の強力さを物語っています。
そして荒浜海岸にやってきました。
ふと海を眺めながら、普段は我々に海の幸の恩恵を与えてくれる海も、時には強大な災害をもたらす二面性をしみじみと考えました。
今日の波はとても穏やかですが、9年前はビルの様な高さの波が、町を飲み込んだという事を考えると、人間の出来る事は事前に対策をする事しかないように思えます。
そして堤防をみると高さが、かさ上げされていました。
東日本大震災、あの後日本人の価値観は変わったように思います。
それは災害が多い日本で、リスクの高い原子力発電所を動かす事は、とても危ういという事実と、放射性廃棄物の最終処分場も決めずに、その場しのぎで無方策に原発を動かしてきたという事実です。
今、世界は再生可能エネルギーの普及に舵を切っていて、ヨーロッパを中心に自然エネルギーの普及が進んでいます。
電力使用量に占める自然エネルギーの割合
ブラジル 85%
スウェーデン 82%
カナダ 76%
日本は22%です。
ちなみに上位3ヵ国の発電は殆ど水力発電です。
ブラジルは豊富な水資源があり水力発電だけで、半分以上の電力を賄うことが出来ます。
つまり自然エネルギー発電は環境に依存する要素が大きく、日本の場合は現在の技術では簡単に自然エネルギーのシェアを、一気に増やす事は難しいです。
また日本は太陽光発電に関しても、世界的に3倍位コストが高く中々普及が進みません。
しかし後10年もすれば、日本の自然エネルギーの発電割合は増えると期待します。
さてこれから御釜を見る為に蔵王へ行きます。
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