日本一周 15 紀伊大島 エルトゥールル号編

さてこれから和歌山県の南端に在る

紀伊大島を一周します。

 

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日本一周 14 本州最南端 潮岬編

 

今居る潮岬からはすぐ近いので、少し走って到着します。

ちなみに紀伊大島へは橋が設置されているので

バイクでそのまま行く事ができます。

 

実はこの橋、僅か21年前に完成したばかりで、歴史的にはまだ最近という事になります。

それまではフェリーが運航されていました。

という訳で到着しました。

 

この紀伊大島エルトゥールル号の歴史を伝える為の

観光エリアとして整備されています。

 

バイクを止めてすぐに野良猫が出迎えてくれました。

日本一周では何度か野良猫たちに出会います。

 

孤独と寄り添っている日本一周では、野良猫に仲間意識が生まれてしまいます。

 

分かりやすい掲示板が在ります。

 

トルコ記念館に向けて歩きます。

歩道はとても広くて、綺麗に整備されています。

 

正直、地方の観光地に似つかわしくない程の

豪華な作りの道です。

トルコ記念館にやってきました。

 

これが【エルトゥールル号遭難事件】を映画化した

海難1890】です。

日本とトルコの合作映画です。

 

潮岬へ来る方は、視聴する事をお勧めします。

 

 

なんとこのトルコ記念館からは、当時エルトゥールル号が

遭難したその場所を見る事が出来ます。

 

 

ここです。

解説すると、1890年にオスマン帝国(現トルコ)の軍艦が、親善訪日の為に明治天皇に親書を渡しに横浜港に来ました。

その帰路に、軍艦が和歌山県の南端の、紀伊大島海岸で遭難した事が、"エルトゥールル号遭難事件"です。

 

この座礁で荒波の中、軍艦の船員600人以上が海に投げ出されて、その殆どが亡くなりました。

しかし当時の大島町民が献身的に船員を救出した事により、69名の船員が生還しました。

 

この物語は非常に感動的なもので、当時の日本人、トルコ人の優しさの交流が交差した、とても素敵な実話ストーリーです。

 

その後、山田虎次郎氏が個人で船員の遺族の為に、義捐金を集めて遭難事件から2年後の1892年に、オスマン帝国に渡って義捐金を渡すと

オスマン帝国から歓迎を受けて、移住を提案されて山田氏は快諾しました。

 

それから長い年月が過ぎて93年後1985年

イラン、イラク戦争が勃発しました。

当時まだイランには在留日本人が200名以上居る中

イラク側が急遽、48時間後上空を飛ぶ航空機を無差別に迎撃する発表をしました。

しかし当時、日本航空も自衛隊機もイラク領内を飛行する事は出来ず、イランには在留日本人が取り残された状態となりました。

 

当時トルコはイラク国内に居る、自国のトルコ人を脱出させるのに必死な中、最終的にはトルコ大使の計らいで、トルコ航空の2便が日本人を分乗してトルコ経由で日本に帰国する事が出来ました。

 

これが日本の助けに対して、約1世紀を経てトルコが恩返しをしたという事で、美談のストーリーとなっています。

 

そしてトルコは有名な親日国であるのも、その歴史の影響が大きいです。

 

こちらは灯台旧官舎

なんでもここに最初船員の怪我人を、収容したという

とても歴史的な場所です。

当時のままの姿を保存しています。

 

 

樫野埼灯台(かじのざき)へ行きます。

 

日本一周の醍醐味はこういった、普段特に気にしていない

史実に関して、その地を踏む事によって歴史を追体験できるような気がします。

 

日本一周の形は様々ですが、私は是非ともその地の風土、歴史、食等、できる限り見聞きして積極的に体験する事が大切だと思います。

 

 

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日本一周 16 兵庫から淡路島へ