バイクで日本一周 52 長崎 隠れキリシタン探訪の旅 編 5

現在は長崎県長崎市に来ています。

 

▼ 前回の記事はこちら

日本一周 51 長崎県 軍艦島編

 

昨日は念願の軍艦島を見てきました。

 

 

そして今日は再び隠れキリシタン探訪の旅を再開します。

 

▼ 前回の隠れキリシタンの記事はこちら

日本一周 45 天草 隠れキリシタン探訪編 1

日本一周 46 天草 隠れキリシタン探訪編 2

日本一周 47 天草 隠れキリシタン探訪編 3

日本一周 48 島原 隠れキリシタン探訪編 4

 

 

というのも隠れキリシタンのゆかりの地

天草、島原、長崎、平戸、五島列島

九州に広く点在しているために全て行こうと思うと、とても日数がかかります。

 

 

今日は長崎にある隠れキリシタンゆかりの地を行きます。

 

大野教会です。

海岸に近いです。

 

ここから12キロと近いです。

 

早速出発します。

 

 

20分ほど走ってやってきました。

大野教会堂 駐車場

 

ここからは徒歩で大野教会まで行くようです。

 

それにしてもこの辺りは非常に坂道が多いです。

 

大野教会はかなり高台に建てられたようです。

 

さらに登っていきます。

 

見えてきました、大野教会です。

 

一見こんな郊外の自然豊かな高台に、マリア像が有るのが何とも言えない違和感があります。

マリア像

 

大野教会です。

大野教会1873年禁教令が解かれた以降の、1893年に建てられました。

 

日本に赴任したキリスト教宣教師ドロ神父が設計して、建築されました。

 

潜伏キリシタンだった信者が、信仰を再開する事ができた隠れキリシタンゆかりの地です。

 

 

残念ながら大野教会は現在閉鎖されていて、中を見る事は出来ませんでした。

 

という事は現在は信者がお祈り等はしていないという事です。

 

つまり記録遺産として建物を残しているという事です。

 

 

そして次はこの近くに在る出津集落(しづしゅうらく)へ行きます。

 

 

到着しました。

出津集落内にある民俗資料館

 

ここで隠れキリシタン関連の歴史を予習しました。

 

 

そしてこれから出津集落に点在する、隠れキリシタンゆかりの地を見に行きます。

 

まずは出津教会へ行きます。

やはりこの出津教会も高台に位置しているようです。

 

見えてきました。

 

 

道中には小さなマリア像が在りました。

 

 

教会が見えてきました。

 

出津教会堂

 

とても立派な教会です。

 

ここは1882年ドロ神父が私財を投じて建てたという事です。

 

この教会は現在も使われていて、中を見学する事が出来ました。

 

中には信者の方が居て、少しだけお話を聞く事が出来ました。

 

信者の方がドロ神父の事を(ドロ様)と呼んでいた事に、ドロ神父がいかに出津の方々に敬愛されているのかが、垣間見れました。

 

 

そして次に近くに在る、ドロ神父記念館へ行きます。

 

ちなみにこの出津教会から、ドロ神父記念館旧出津救助院

3ヶ所の隠れキリシタン関連施設が点在しています。

 

という訳でやってきました。

 

 

ドロ神父記念館

 

ここではドロ神父のゆかりの物を見る事が出来ました。

 

ドロ神父像

 

そしてここからすぐ近くに在る、旧出津救助院へ行きます。

旧出津救助院

 

 

オルガンが在りました。

なんとこのオルガンドロ神父フランスから取り寄せた、当時の物をメンテナンスして、維持しているという事です。

 

つまり130年前の代物という事です。

 

そして幸運な事に、出津救助院の案内をしてくれていたシスターの方が、このオルガンを演奏して聞かせてくれました。

 

ドロ神父が取り寄せた当時のオルガンを、ドロ神父が育んだ信徒の方が、130年経った今でも引き継いでいます。

 

生涯子孫を持たなかったドロ神父ですが、その理念が立派に受け継がれている事実に、何とも言えない人生の意味を感じました。

 

ちなみにドロ神父は、当時貧しかったこの村の状況を危ぶんで

村の女性たちに仕事を教えたり、与えて女性の自立を促したそうです。

 

最近やっと女性の権利向上が叫ばれている中、130年以上も前から女性の生活向上の為に施設を作って、運用をしたそうです。

 

 

余談ですが、私はアジアの各国でキリスト教系団体による、支援活動を見てきました。

彼らは村に教会を作って宣教師を派遣して、村に布教活動をしながら子供たちに教育や、住居などを提供しています。

 

布教活動というバックボーンを抱えてはいるものの、実際に貧困層を助けているのも事実です。

村民たちに話を聞いてみると、キリスト教系団体は必ずしも支援の引き換えに、改宗を強制したりはしていないという事でした。

 

私はそれらの活動に意見を言う立場ではありませんが、宗教と人の関りはとても深く、時には人を救う事も有れば

信仰の違いが争いの日種にもなり、複雑な思いがあります。

 

それこそこの前行った南島原で起こった

島原の乱‶がいい例かも知れません。

 

▼ その記事はこちら

日本一周 48 島原 隠れキリシタン探訪編 4

 

 

さて、出津集落の隠れキリシタン探訪を終えて、次はいよいよ隠れキリシタンゆかりの地の中でも、最もディープスポットである

 

枯松神社へ行きます。

 

ここから4キロ程です。

 

 

到着しました。

外海総合公園 

 

枯れ松神社には駐車場は無い様なので、公園にバイクを停めました。

 

枯れ松神社へ行くには、ここから少し森の中を歩くようです。

 

 

ありました! 枯松神社です。

 

 

枯松神社

 

 

何で隠れキリシタンゆかりの地神社? と思うかもしれませんが、これこそが当時の宗教弾圧が如実に表れていると言えます。

 

当時隠れキリシタンの信徒たちは、迫害を恐れてキリスト信徒である事を隠して、仏教徒である様に見せていました。

 

そしてこの神社のすぐ近くに在る岩の下で、誰にも見つからないようにオラショ(祈り)を唱えていたという訳です。

 

つまりここの観光の本丸は神社では無く、今でも現存しているその ‶ ‶ (祈りの岩)です。

 

これがそのです。

 

祈りの岩

 

この岩の隙間に人間がやっと座れる位のスペースがあります。

 

この隙間で当時のキリシタンの信徒の方々が、迫害を恐れながらも信仰の為に祈っていたという事です。

 

私も祈りの岩の下に入って、当時の信徒の方の気持ちを追体験してみます。

 

 

やっぱり信仰心の全く無い私には、なんの感情も沸きませんでした。

 

 

ちなみにこの岩に下に潜ってみると、山道の方からは人が見えない位置にある事が分かりました。

 

祈りの岩の入口部が神社側になっていて、山道からは岩しか見えないようになっています。

 

なるほど、このあたりの事は実際に来てみないと分からないです。

 

という訳で今回の隠れキリシタン探訪は、これで完結です。

 

実際には平戸や、五島列島など隠れキリシタンゆかりの地は、まだまだあります。

しかしこれ以上のタイムロスは、日本一周という主目標に影響が出てきてしまいます。

 

しかし関東人からすると、滅多に来れない九州長崎隠れキリシタン探訪旅が出来た事に満足です。

 

ちなみにこれから隠れキリシタンの観光をする方は

映画【沈黙サイレンス】を見ておくと、より楽しめると思います。

 

 

さて寝床の琴海赤水公園キャンプ場に戻ってきました。

 

今日の夕食は業務スーパーの格安弁当です。

かつ丼 320円

 

 

明日はフェリーに乗って池島に行きます。

 

 

▼ 次の記事はこちら

日本一周 53 長崎 ゴーストタウン 廃墟島 池島 前編

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